オステオパシー

カイロプラクティックも最近では大分知られるようになってますが、本場アメリカでカイロが産声をあげる以前よりオステオパシーは存在しているにも関わらず、日本ではまだまだ一般に対しての認知度が低いのが現状だと思います。

 

カイロ発祥より遡る事21年前の1874年、アメリカのミズリー州カークスビルでアンドリュー・テイラー・スティル医師によりオステオパシーは創始されました。

 

1864年、彼がカンサス・シティーに住んでいた頃、流行性髄膜炎で三人の子供と父親を亡くしており、他にも生後間もなく三人の子供を亡くし、結局七人の子供のうち生き残ったのは長女一人だけという悲しい現実が、その後彼が自然医学の研究へと一生を捧げる原動力となり、それからの研究の末、筋骨格系などの異常が病気の根源だと考えはじめるようになりました。

 

そしてそれらの異常を手技によって取り除く事により、本来の機能の回復を目指すというもので、ギリシャ語のオステオ(骨)、パソス(病気・治療)からオステオパシーと名づけました。

 

何かカイロと似ていますが、もともとはオステが先に存在しております。

 


頭蓋仙骨療法(とうがいせんこつりょうほう)

頭蓋仙骨療法とはいったい何なんでしょう?

オステオパシーの中でも代表的なテクニックのひとつでもありますが、

頭蓋仙骨療法単体でも独立した療法として成り立つ施術でもあります。

ではまたかいつまんで、歴史を説明いたします。

 

頭蓋仙骨療法は1899年カークスビルのアメリカ・オステオパシー・スクールの学生であったウィリアム・ガナー・サザーランドにより発表されました。

 

頭蓋(とうがい)は1つの骨ではなく、15種類・23個の骨で構成されています。

それらの骨の合わせ目は縫合と呼ばれ、ジグソーパズルの組み合わせ線のような波形の線(縫合線)で複雑に結合されています。

 

彼は「全ての自然のデザインには目的がある」との強い確信を持っており、側頭骨の鱗状縫合が魚のエラに似ている事に着目し、側頭骨も魚のエラのように動いて呼吸しているのでは?というアイデアから自らの頭を器具で固定したり、さまざまな実験を繰り返しているうちに頭蓋の動きに精通し、そして様々な人々の頭を触診し始め、頭蓋の微小な動きを感じられるようになり、仙骨(おしりの真中の骨)との相互関係を発見しました。

 

そして頭蓋骨が動くのは脳自身が動いているからではないかと推論し、脳が膜組織を動かし、膜組織が骨を動かし、そして脳脊髄液を変動させるとし、脳脊髄液の循環に関わるシステムの事を「第一次呼吸」、肺を使った呼吸システムを「第二次呼吸」としました。

 

この脳脊髄液は神経の新陳代謝やホルモンの運搬、脳や脊髄を保護する役割を果たし、また呼吸や心臓の拍動とは違う自立した一定のリズムを持って流れています。

 

この脳脊髄液による第一次呼吸システムを活発化させるのが頭蓋仙骨療法であり、クレニオは英語で頭蓋骨、セイクラルは仙骨のことを言います。

 

サザーランドの頭蓋オステオパシーは後にジョン・アプレジャーD.O.により複雑な頭蓋オステオパシーを独自の理論・研究により体系化し、10ステップで構成されたテクニックをクレニオセイクラルセラピー(CST)と名づけ、一般にも広く普及させ貢献します。

 

そしてサザーランド晩年の研究は現代にも受け継がれ、ジェームスS.ジェラスD.O.の提唱するバイオダイナミクスアプローチとして今も発展しております。